2週間程、現場仕事をしていて、久しぶりに身体を動かした為、身体中が悲鳴をあげました。
社長の私が現場に出ると言うことは、忙しいという事なので、お客さまに感謝します。現場を遂行してくれる社員にも感謝です。
自分の身体の悲鳴は、問題ないのですが、心が悲鳴をあげるのは大問題です。
仕事が忙しいと、漢字のごとく心を亡くします。亡くされた心は悲鳴をあげます。
忙しい時や、自分がうまく行ってない時、イライラして、心が悲鳴をあげます。その悲鳴は、自分に対してではなく、近くにいる弱い他人に対して、向けられがちです。
自分の心に問題があるのに、その事を認めたくなく、悪い原因を探して、そこを心の悲鳴の捌け口にします。
ささいなどうでもいい行動に対し、注意という名目の元、自分の心の悲鳴の捌け口として、悪い原因をたたきます。
一瞬、自分はすっきりするかも知れませんが、その行動は、後々、さらに自分の心を深く傷つけます。
自分の心が問題なのに、他の人を変えようとしても上手く行くわけがありません。
自分の心の悲鳴は、自分の考え方や行動を直さなければ、おさまりません。
私は、本来はカッとしやすい性格です。しかし、カッとなって怒りに任せて出た行動は、後に冷静になって考えると反省しなければならない事が多くあります。
最近は、自分のルールでカッとなっても、3日くらいは我慢します。大抵の事は3日後には、些細なことだったと気づきます。
失敗を発見した時は、失敗を注意するのではなく、なぜ失敗したかを考えます。失敗した原因を追求せず、ただ、注意するだけでは、失敗は繰り返されます。その注意は必要ありません。どうして失敗したかが問題です。
社長という立場になると、小さな視野ではなく、大きな視野で物事を見れるようになります。というか、小さな事に目を向けて、大きな事に気づかなくなる様では、社会という大きな事象から遅れをとります。
心が悲鳴をあげているのは、何かしら、自分に問題を抱えているからです。それは、小さなトゲです。そのトゲを自分で取りのぞかなければ、心の悲鳴はおさまりません。自分に刺さっている小さなトゲが原因なのに、ナイフで他人を刺してなおる訳がありません。理由がどうであれナイフで他人を刺すのは客観的に見て犯罪です。