ある程度まで、人生を過ごすと、人は皆、奴隷だと気付きます。
奴隷と言うと、酷く、悪い言い方なのですが、これは、本質なので、奴隷と書きます。
従業員は、私=会社に尽くす、奴隷です。
これは、紛れもない事実であり、本質です。
会社に雇用されているという意味では、奴隷なのです。
勤務中には、会社、私の指示に従わなければなりまん。
だから、奴隷なのです。
私=会社は、社会に仕える奴隷です。
一宮市という、小さな区域、街を綺麗にする事を、使命とされた奴隷なのです。
どうせ、奴隷になるなら、地域の為に働く奴隷の方が良いですね。
私自身がそう思います。
会社=社長の為に、身を粉にして、みんな働く訳です。
だから、社長は、金儲けに走りすぎては駄目なのです。
みんな、社長の為に、働く訳ではありません。自分たちの生活の為に働く訳ですが…。
結局は、社長=会社の為に働くのです。
そこで、重要な事は、社長=会社は誰の奴隷なのか?
私は、一宮市、自分が生まれてそだった街の奴隷です。
そう有りたいと、思います。
自分の欲の為ではなく、地域を良くする為の、社長でありたいと思います。
だから、従業員は、私の奴隷になってくれるんだと思います。
とても、言い方が悪いのですが、人は皆、何らかの奴隷なのです。これは、不変です。
問題なのは、誰の奴隷となるか?
ちなみに、私は、従業員を奴隷だとは、思っておりません。
私の夢を叶える仲間と思っています。
なので、困っていたら、当たり前で手を差し伸べたいと思います。私の手の届く範囲ですが…。
あなたは誰かの奴隷であり、私も同じくです。
しかし、誰の奴隷となるかで、功績は変わるのです。
あと、私は、自分のできる範囲で、私に仕えてくれる人、そして、その家族の為に、できる事は、やっていきますよ。
私の大切な奴隷なのですから。
ともに、道を歩む仲間ですからね。