人の死について、
子どもに、死ぬという事はどういうことか?と、聞かれました。
難しい質問です。
難しい質問ですが、答えないというのは、どうかと…。
この質問の本当に正しい答えを、答えれる人は、おそらくいません。
いたら、おかしいです。
けど、それなりに応えてあげるのが、親というものです。
正答でなくても、応答で良いのです。
その応答を子どもたちは、心の片隅に覚えていてくれるか?親父は馬鹿だな?と自分なりに答えを探すでしょう。
人は、生まれた時から、死ぬ事が決まっています。永遠の生命というのはいまのところ、私が知ってる限りではありません。
なぜ、生命と書いて、生命(いのち)と呼ぶのでしょうかね。一文字でも命(いのち)と言います。
日本語では、生きてる命と命があるようです。
子どもには、わかりやすく、コップの中の水みたいなもんだと伝えました。
水は、常に流れています。人は生まれた時、体の組織の90%は水分です。たまたま身体というコップを見つけた水(命)が、コップの中に目に見える形でそこにとどまりコップの中で存在が認識できる水(生命)に変化します。コップの寿命を迎えたとき水は流れていきます。たまには、不慮のトラブルでコップが割れてしまう事があります。
生まれた時は、90%くらい水分がありますが、歳をとると、50%くらいまで水分は減ります。
四捨五入とはうまく言ったものです。人は死んだとき、身体の水分は自然となくなります。血も凝固します。
亡くなった事を確かめる為に、死に水を注ぎます。器がまだ水を欲すると言うことは、生きているという事です。
器が水を欲せず水を受けつけなければ、生命は失われ、命となったという事です。
新型コロナについても、見えない外敵なだけです。ライオンや熊やサメも人を襲います。ハチだって、小さなアリでも人を噛むことはあります。人の味方ばかりではないという事です。人は自分のエゴで他の生き物を殺します。今回、新型コロナについては殺す方から、殺される方に立場が変わっただけで、地球規模で言えば、自然を破壊する人を小さなウィルスたちが立ち向かってきたという事になります。
話がそれましたが、人はいずれ死にます。それが自然な姿です。ただ、生命としての死を迎えるだけで、精神世界での死は別な問題です。
とても難しい質問だと思いますが、自分なりに答えを探したつもりです。
この死という事を改めて考えさせていただいた、親しい故人のご冥福をお祈り申し上げます。