蝋燭

人生を蝋燭だとすれば…。

生まれた時に、親の蝋燭の火が子どもに与えられ、子どもの蝋燭に火が灯ります。

蝋燭を人生に例える訳ではありません。

ただ、蝋燭が亡くなった時は、人世も終わりではあります。

私の中で、蝋燭は、輝くか輝かないか…。

人それぞれ、寿命は違います。だから、蝋燭の長さも太さも違います。人世に例えてますね…。(笑)

けど、蝋燭と人世は違うのですよ。

私の中では、蝋燭は生き方です。

生きてる間に、灯りを灯すか灯さないか?

蝋燭は、当たり前ですが、自発的に灯りを灯す事はできません。

生まれた時は、親の子どもに対する希望という種火をいただき灯りを灯します。

これは、成人するちょっと前くらいまでは、よほどの事がなければ親からの希望という灯りを自分が素直に受け入れるので、蝋燭の火は絶えることなく、小さくなる事はあっても、灯りを灯します。

大人になり、親からの自分に対する希望を拒否するようになると、親から種火をもらうことはできません。

人世ではなく、生き方と言ったのは、輝く人もいれば、輝かない人もいるからです。

蝋燭の火を灯すには、風を当てないようにしなければなりません。もちろん、雨もです。

蝋燭は、一度、完全に消えてしまっても…。種火をもらえば、また、火を灯します。

そして、蝋なので、継ぎ足す事もできるのです。

だから、人世ではなく、生き方と、私は言ってます。

輝く生き方を選ぶか、輝かない生き方を選ぶのかは、自分次第ですが、蝋燭は、種火をもらえば、何度でも輝く事はできるのです。

ただし、一度完全に消えた火を灯すのは、大変なんですよ。種火を用意してくれる人がいなければ、自力では火を付けるの事は出来ないのです…。

自分で出来るのは、小さくなった火を大きくする事と、火が消えてしまった人に、火を分け与えること、そして火を守ること。そして、周りを明るくする事です。

火が小さく消えかかっている時も、悪い事ばかりではありません。周りを明るくする事ができないですが、蝋が溶ける時間は長くなります。ゆっくりと、自分を見つめ直し考える時間なんじゃないでしょうか。