根道神社

今朝は、岐阜の根道神社におまいりに行ってきました。世界平和と家内安全、社内安全を祈願してきました。

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この神社は、実は、あまり有名な神社ではありません。

しかし、とても人が集まる神社になりました。

参道に、有名になった池があるからです。

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モネの池です。確かに、きれいですね。有名になるのもわかります。

この池自体が今は神様が宿っているかも知れません。

もともと、神様は、山や川、湖や池といった自然に存在を感じる物でした。祭事の時の、仮の拠り所として、社を設け、鏡や御幣に神様に降りてきていただいたのです。この社が神社です。鳥居は、ここから先が神様の住む世界という意味です。

鳥居をくぐる際は、頭を下げなければなりません。また、鳥居を含め、参道は端を通らなければならないとされています。参道の中央は、神様の通り道だからです。神社の境内の参道等は、端を歩くのが神社の参拝の作法です。

普段は、1人で、早朝に神社めぐりをしているのてすが、今朝は、モネの池を見たいと、初めて、嫁さんと二人で神社をおまいりしました。

たまには、二人もいいもんだなと思いました。

運命

【運命】人の意思をこえて幸・不幸を与える力、元から定められている巡り合わせ。将来、未来。

 

あなたの運命だ。と、まわりに言われても、納得できない事があります。

運命の意味を調べると、「人の意思をこえて幸・不幸を与える力、元から定められている巡り合わせ」と書かれています。

人の生死を語る際に、運命という二文字を嫌でも耳にする事があります。

運命は、人の意思をこえてとあります。人の意思をこえるということは、宇宙、自然、神様の領域です。

宇宙、自然も神様がつかさどっている事を考えると、神の仕業です。

運命は神様の仕業と考えると、それをけして呪ってはいけません。

起きてしまった事は、認めなければならないのです。認めるとは、言葉を忍ぶと書きます。愚痴をこぼしても始まらないのです。

運命は将来や未来という意味も、持っています。

将来や未来を変えるには、念じることです。念じるという字は、今の心です。今の自分に置かれた状態を強く意識する事です。将来は今の自分が作るのです。

今、ここに生きている事にありがとうと感謝する気持ちが将来へのスタートです。

感謝は、ありがとうという言葉で表現されます。普段、私たちが何気なく使うありがとうという言葉は、「有り難し」が語源と言われています。「ありえないこと」「存在しえないこと」をそう呼んだのです。「ありえないこと」「存在しえないこと」が起きたときに「有り難し」と使ったのです。つまり、それは「ありえないこと」を神様が起こしてくれた場合に使った言葉です。ありがとうは、もともと神様への感謝の気持ちです。

英語は、thank you で人に対して言いますが、日本人のありがとうは、人に対して言っても、神様に対しての感謝なのです。起きた出来事に何気なくありがとうと心の中でとなえる事があります。あれは、自然に神様に素直な気持ちで感謝しているのです。

とても、不幸な有り難し事が起きた時、とても辛いと思いますが、今の自分を呪わずに、ありがとうと言う事により、将来は変わります。

神様には、お願いをしてはいけません。現在の状態をありがとうありがとうと感謝する事により、感謝の言葉をかけられた神様が幸せをくれるのです。

運命を切り開くには、ありがとうです。辛い時こそ、ありがとうです。

 

幸せ

人によって、幸せと感じるタイミングは違います。

久しぶりに、幸せだなって思いました。

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スヤスヤ寝ている子供の姿、ずっと見てれます。私たちには、当たり前であっても、安心して眠れない子供たちも、世の中には、たくさんいます。

平和な国、日本に生まれ、家族に恵まれた事に感謝します。

少し前の、つぶやきで書いた、貯金箱ですが、なんと!!

そろそろ目障りなので、子供が見ていない間に捨てようと思ったのですが、

違和感が…。

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すでに、実用されていました…。

私には、ただの輪ゴムの空箱ですが、子供にとっては、自分で始めて作った貯金箱です。

ちょっと反省しなくてはならないなと真剣に思いました。

血の繋がっている子供でさえ、自分が想像できない考え方をします。

自分の考えを人に押し付けるのではなく、他の人の行動を素直な気持ちで受け入れる事が、大切だと思いました。

日本は、和の国です。和(なご)む事が、本来の国民性であったはずです…。

青空教室

小学校の先生が青空の下で、屋外授業をしたい。

と私に相談しました。

こういう相談に私は弱いんです…。

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大人だと6人、子供だと8人で使える、テーブルセットを7組、完全自社施工にて、スペシャルプライスで納品しました。

暑い中、作業をしていただいた社員の皆様に感謝します。

子供たちには、のびのびとたくましく育って欲しいと思います。

そのために、一生懸命な先生に、私は協力したいです。

一宮市の小中学校は来年には、エアコンが整備されます。

そんな中で、外で授業?と思われるかも知れませんが、私は教室の中では、見えない景色がそこにあるようにおもいます。

教室に空調が整備されるこそ、こういった青空教室は必要なのかも知れません。

先生は、子供たちを管理指導する立場です。時として怒(おこ)る事もありますが、それは子供たちの将来を思っての事です。

仕事も同様に怒る(おこ)のは問題ありません。その人の事を思って怒る(おこ)のは、必要な事です。

しかし、自分の感情に任せて、怒(いか)るのは、負の効果しか生みません。

相手の事を考えて怒(おこ)るのであれば、相手にもちゃんと伝わります。しかし、自分の保身の為に、自分の感情に任せて怒(いか)ることは、相手の心をさらに遠ざけ、まわりにいる第三者も不快にさせる結果となります。

同じ「怒る」という漢字ですが、ひらがなにすると「おこる」と「いかる」という読み方をします。「おこる」と「いかる」では、意味が違います。「いかる」は人を不幸にします。他人と自分を不幸にします。

 

道徳心

今朝は、久しぶりに稲沢の国府宮神社に行ってきました。

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世界平和と家内安全、そして商売繁盛をお祈りしてきました。

国府宮神社は、尾張大國魂神社と呼ばれ、神社は尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社とされた。尾張地域を統べる神社です。

尾張五社にも、もちろん入っています。尾張五社(おわりごしゃ)とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661年-1733年)の著した『尾張五社略記』に記載される尾張国を代表する五つの神社です。他には、名古屋の熱田神宮、津島の津島神社、犬山の針綱神社、海津市の千代保稲荷です。※残念な事に尾張国の一宮である真清田神社は入ってません…。

早朝に神社におまいりに行きますと、神社に向けて歩いているだろうと思われる方をよく見かけます。

そういった方のゴミを拾いながら歩いている姿を目にします。

日本という国がきれいなのは、こういった道徳心がある方のおかげでしょうね。

私も見習わなくちゃなと思いました。

これは、速い〜!!

今日は、終日、会社の仲間と名古屋で講習会でした。おつかれさまでした。

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せっかく名古屋まできて、まっすぐ帰るのも…。というわけで、私が前から興味があったお店で、飲んでから帰る事にしました。

とても、楽しかったです。

一宮駅は七夕まつりで混雑が予想されることと、羽島在住が1名いたため、思い切って、名古屋から羽島まで新幹線で移動し、一宮まで帰って来ました。

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※こっそり、パシャリ。

 

名古屋〜羽島までは、1500円くらいです。なんと、タクシー代は、経由地の位置的に、一宮駅からより、安いくらいでした。なので、電車とタクシーのトータルは一宮駅と羽島駅とほぼ変わりませんでした!スピードと快適差を考えると、羽島まで新幹線の方がお得な気がします。

在来線で羽島まで行こうと思うと、名古屋から岐阜まで行き、竹鼻線で羽島に行く為、1時間くらいかかります。しかし、名古屋から羽島まで、新幹線だと、10分です。

新幹線ってすごく速いですね。改めて、実感しました。

将来、リニアが開通すると、東京も、ぷらっと行ってくる距離になるかもしれませんね。

日本の鉄道は、世界に誇れる物だと、改めて、実感しました。

 

おりもの感謝祭

本日より、一宮市の七夕まつりが開催されました。

一宮市の七夕まつりは、おりもの感謝祭と呼ばれています。

昭和31年から開催されています。

祭とは、感謝や祈り、慰霊の為に、神仏や祖先をまつる行為です。

一宮市が繊維で栄えていた時代に、それを感謝して、おりもの感謝祭として祭りを始めたのがルーツだと思われます。

ただ、残念な事に、祭りの始まった当時は、一宮市は繊維の街でしたが、今は、あまり繊維の面影はありません…。

祭りは、本来は神事です。全国で有名なお祭りと比べ、一宮の七夕まつりは歴史が浅いです。

逆に言えば、歴史が浅いのに、これだけ大きな祭も、珍しいのではないでしょうか?

ただ、祭の趣旨から考えると、地場産業をPRできる物であっても良いのかなと思います。

何故なら、一宮の七夕まつりは、おりもの感謝祭だからです。

そのルーツは、大切だと思います。祭りは、地場産業をPRする絶好の機会です。

繊維の街を、これからも続けて行くのであれば、おりもの感謝祭は、もう少し地場産業をPRする必要な気がします。

 

 

人手不足倒産

人手不足倒産という言葉が、経済新聞やネットでだいぶ騒がれるようになりました。

会社の人手不足は、少子高齢化による労働者人口の減少によるところが大きいことは、間違いありません。

しかし、もっと大きな原因は、仕事に関する考え方がかわりつつあるからです。

仕事が充実していれば、社員はやめません。仕事が充実していなくても、居心地の良い会社なら、社員はやめません。自分の時間がとれる会社なら社員はやめません。

人が来ない会社は、求人広告を出す前に、働く人たちの環境を改善する事から着手する方が無難です。

労働者人口が減少しても、豊富な人材確保できている会社もあります。

かなり多くの会社、中小企業の6割以上が、現在人手不足と感じているそうです。

人手不足と感じてからでは、実は遅いんです。人手不足になる事を予想して事前に準備をしていた会社は、とっくに人材を確保済みなのです。

また、人手不足の解消には、女性や高齢者の活躍が必要と言われておりますが、そこも、後10年で限界がくるように思われます。

失業率と有効求人倍率

 

実は有効求人倍率にしめる正社員の求人は、以外に低いのです。これが現実です…。

特殊清掃

先程、ニュースで特殊清掃について特集をしていました。

正直、そこまで、ひどい現場ではなく、テレビ向けにわざと散らかしたような感じでした。

実は、弊社も特殊清掃をしております。あまり、特殊清掃とか思った事はないのですが、テレビ等で報道されているより悲惨な現場がほとんどです。

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天井近くまで、ごみだらけの部屋とかは、ちょくちょくあります。

なぜなら、弊社は、おそらく愛知県下でも歴史の古いゴミ屋だからです。一宮市内でしか仕事をしておりませんが、昔から、特殊清掃と言われるレベルの案件も請け負ってきました。何故なら、昔は、弊社しか対応可能な窓口がなかったからです。

昔は、汚い現場等、誰もやってくれませんでした。しかし、今は、それを商売にして、営業をかけ、ありえない高額な金額で請け負う専門会社が増えてきました。

びっくりする事に、そういう会社は、亡くなった故人の方の亡くなられた悲惨な状況がわかる写真等を営業の為に掲載しています。

とても残念な事です。

普通に考えて、人の死を晒すような事はしてはいけません。それを営業用の写真に使う等…。

そういった会社は、短期的には成功しても、継続はしない気が私はします。

お金を得る為に、なんでもしていいわけではありません。

これはおかしいと思うような事を、仕事だからといってやってはいけません。

お金を得る為でも、道徳に反する事をしてはいけないのです。

困っている人がいるので、嫌な仕事でも、仕方なく請け負うのが自然な流れです。

自ら、金儲けの為に、人の死んだ現場を営業用の写真に使って集客し、特殊清掃を請け負う事は、どうかと思います。

亡くなられた人は、文句を言う事はできません。当たり前の事です。もし、化けて出てこれるなら、文句を言うと思います。人が亡くなった場所を晒すような事はしてはいけません。

と、私は思います。

私は特殊清掃は苦手です。今まで数え切れない程、携わらせていただきました。しかし、現場に入り、故人の方の亡くなられた状況等を考えると悲しくなります。

ごく稀にですが、故人の方の念が現場に残っている事があります。胸が締め付けられる悪寒がします。

私は、そういう現場を本来なら、社員にさせたくありません…。

自分が嫌だと思う仕事を社員にさせる社長ってどうですか?社員は道具ではありません。私、一人ではできない事を一緒に遂行してくれる仲間です。

人がやりたくない仕事をするのが、衛生社です。お金儲けではなく、困っている人の為に、衛生社として適正金額で特殊清掃をするのが、弊社というか、私のスタンスです。

 

伝統

今日は、国技である相撲を見てきました。

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あえて、国技という言葉を使いました。相撲、剣道、柔道など日本古来からの武道を国技ではないと言う屁理屈を言う人が世の中にはいます。理由は、国の法律に国技と定められていないからだそうです…。

純粋な日本人であれば、法律に定められていなくても、相撲は国技であると認識しているはずです。

今の相撲の形式は、江戸時代から何ら変わっていません。この歴史、伝統を法律に定められていないから国技ではない…。そんな事を言うのは、本当に日本人でしょうか…?

日本という国は、とても歴史がある国です。万物に神が宿るという崇高な精神をもった民族です。

崇高な精神をもった美しい国である日本という国に嫉妬して、歴史を歪曲しようとしているプロパガンダをしている人たちが、今の日本には多数います。

相撲は日本の国技です。そんな当たり前な事まで、くだらない理由をつけて否定する人がいる事が残念です。

国歌、国旗も、堂々と歌い掲示すれば良いのです。

日本の歌であり、旗です。相撲は日本の国技です。

日本人が日本という国を否定するような事があってはなりません。

相撲は日本の国技です。と、日本国が大好きな私は思いました。